日本のウイスキーの親、竹鶴正孝と妻リタについて

NHKの朝のドラマ「マッサン」はニッカヰスキーの創業者竹鶴正孝とその妻リタがモデルになったストリーだ。竹鶴正孝はニッカの創業者だけでなく、サントリーの山崎工場の初代工場長、さらに摂津酒造の時代の上司、岩井喜一郎という人が竹鶴のレポートを参考にマルスウィスキーを作っているなど、まさに日本のウィスキーの親といえる。そしてこのドラマは日本のウイスキーの黎明期、ニッカとサントリーの創業者のが出てきてウイスキーに関心がある私にとっては楽しいドラマだ。

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竹鶴正孝とリタについて

竹鶴正孝とリタの関連本を読んでみたが、竹鶴正孝の人生は羨ましい人生だったというのが感想。ウィスキー作りを目指し、スコットランドに行き美人の奥さんをつれて帰り、サントリーの創業者とめぐり合いウイスキー作りを実現。更に実業家の知遇を得て自分でも創業、創業時はリンゴジュースを造り売れずに苦労はしたが太平洋戦争直前にウイスキーを出荷することにより海軍の指定工場になり、生産が安定、戦後には全国メーカーになった。ちょっと残念なのはリタが流産をしたあと、二人に子供が出来なかったこととリタが64歳と早くなくなってしまったことか。本人も述べているが運のよいところもあるし、人を寄せる魅力もあったのだろう。写真を見ると、無骨だがかっこいい。

マッサンこと竹鶴正孝の年表
1894 明治27年 広島県竹原市の3男として生まれる。
1913 大正2年  19歳 大阪高等工業学校醸造科(現 大阪大学)に入学
1916 大正5年  22歳 摂津酒造に入社
1918 大正7年  24歳 グラスゴー大学に留学
1919 大正8年  25歳 リタと出会う
1920 大正9年  26歳 リタと結婚、この時リタは23歳、リタとともに日本に帰国
1921 大正10年 27歳 ウイスキーの製造計画が頓挫した摂津酒造を退社
1922 大正11年 28歳 桃山中学で化学の先生に就任、リタは帝塚山学院で英語、ピアノ等を教える
1923 大正12年 29歳 寿屋(現サントリー)に入社
1924 大正13年 30歳 日本発のウイスキー蒸留所の初代工場長となる
1929 昭和4年  35歳 山崎工場から初の日本製ウイスキーを出荷
1934 昭和9年  40歳 寿屋を退社、大日本果汁を北海道の余市に設立
1935 昭和10年 41歳 リタも鎌倉から余市に移る。
1940 昭和15年 46歳 余市の工場からウイスキーを初出荷
1952 昭和27年 58歳 社名をニッカウヰスキーに変更
1961 昭和36年 67歳 リタが逝去
1969 昭和44年 75歳 宮城峡蒸留所を建設
1979 昭和54年 85歳 東京で亡くなる

関連本

書籍リンク  内容 
 マッサンのモデルとなったニッカヰスキーの創業者竹鶴正孝本人が日経新聞の私の履歴書に寄稿した内容を中心にまとめて昭和47年に非売品としてニッカヰスキーが発行した本に、関係者の文書を追加して平成26年に刊行された。本人や、本人と一緒に活動した人の文書なのでリアリティがあるが、リタに関する記述が少ないのでちょっと残念。
 「竹鶴正孝とリタ ニッカヰスキー物語」というサブタイトルがついている。最初は平成16年に刊行された本で、今回のドラマにあわせて平成26年時点の事実を追加して再編成されている。竹鶴とリタだけでなく、酒税、輸入自由化等とニッカヰスキーの商品の説明も詳しく説明されており、今回のドラマにあわせてウヰスキーを買おうとするにはとっても良い本。
 NHKのドラマにあわせて刊行された関連本ではあるが中心は2004年に産経新聞に9回連載で掲載された「凛として 日本のウイスキーの父 竹鶴正孝」田窪桜子 を補足修正した内容。そのほかに余市の案内や、ウイスキーや、竹鶴正孝とリタに関連する話題の用語解説等が満載。写真も多くドラマを見るお供に用意する一冊としては最適。
 やはり、NHKのドラマにあわせて作られた関連本ではあるが、著者の千石涼太郎は以前より竹鶴について書くチャンスをうかがっていたというだけあって竹鶴夫妻に愛情を持って書かれた本となっている。竹鶴正孝、リタの生い立ちから亡くなるまでと、おまけとして二人が愛した余市についてコンパクトにまとめた一冊。
 おそらくドラマにあわせて書き下ろされた小説。リタを中心に、スコットランドの話などはかなり創作として書かれていている。スコットランド時代は丁寧だが、リタが流産した話しや、養子のエマの話など、面倒な話は無視して触れられていない。また、戦争後の話は、いきなり、それから15年が経ちと進んでしまうし、晩年のリタの寂しさは触れられていないなど、雑な面があり、ベタな書き方でもあるが、小説自体に感情移入は出来た。(わたしが馬鹿なのか、それなりに泣けました)
 原著は1998年にオリーヴ・チェックランド婦人(イギリス)の書かいた「Japanese Whisky,Scotch Blend:Masataka Taketuru,The Japanese Whisky King and Rita,his Scotch Wife」を翻訳したもの。学術的な本で引用した文献がしっかり記載されている。また、Ritaの手紙からの引用も多くリアリティがあり、他の関連本とは一線を画す。竹鶴夫妻の本当の姿に最も迫る一冊と思う。
 1995年に書かれた本を加筆修正して再刊行したもの。小説形式で書かれているが事実を細かく追っている。ただ、昭和34年に妹のルーシーが来日した事に触れられていないのは合点がいかない。また、リタの晩年や、家族に看取られて亡くなったことになっている点など、他の本と比較するとちょっとハッピーエンドに記述されている。ただ、再刊された文庫本として作者はNHKのドラマのエリーという名前は、スコットランドではあまり聞かれない名前なので残念と書いているなど、作者としては史実に書いたという意識であろう。


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ニッカの竹鶴は、もちろんだかサントリーの山崎も、もともととは竹鶴正孝が初代工場長として作った山崎蒸留所で作られているウイスキーなので関連商品といえるかな。

商品 説明 
 竹鶴の名前を冠したウイスキー、「琥珀色の夢を見る」によると、平成12年シーバス、ローヤルに業務用で対抗するする想定で作られた商品。スタンダードな商品も平成25年9月までは「12年」がついてたが、12年モルトの縛りから開放してその前後の良いモルトを利用できるようにされた。重厚な味と竹鶴のこだわったピートのスモーキーさも感じられる。  
 
 北海道にある余市蒸留所は竹鶴正孝がスコットランドと気候が似ている地ということで建設した ニッカウヰスキーの創業の蒸留所だ。竹鶴正孝のこだわったピートが香る。昔ながらの石炭直火焚蒸溜を行っているのは世界でこの蒸留所だけだ。
 サントリーの山崎蒸留所も竹鶴ゆかりの場所だ。サントリーの創業者、鳥井信治郎が竹鶴正孝を工場長として作らせた日本初のウイスキー蒸留所。スタンダードな山崎は甘く、華やかな香りだ。  
 
  宮城峡蒸留所は昭和44年に竹鶴正孝が、スコットランドのハイランドのイメージの余市に対して、ローランドのような蒸留所として建設した蒸留所。個性の違う二つの原酒をブレンドするとより上質のウイスキーが出来るという正孝の持論から作られた。ピートの効いた力強い余市とは違い、深い森と豊かな水から作られる華やかでしなやかなウイスキーとなっている。
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